〜緑色の涙〜 (後編)


Forever FAIRLADY そして、、、。










―――― 1990年 2月。

世に数あるフェアレディーZの中で、その車は誕生した。





初代〜2代と受け継がれたそのフェアレディは1999年 4月 27日。

3代目となる彼の元へやってきた。







今から5年前の話だ。







彼にとって生まれて初めて買ったその車は、

彼の中にある他の全てを差し置いて「1番」となった。

すでに地球を1周と3/4を走り疲れの見える彼女に、

まずしてあげた事はタイミングベルトの交換。







「今までご苦労様。 そして、これからヨロシクな。」







しかし彼の元に来てからというもの、トラブルの連続。

彼を困らせジャジャ馬ぶりを発揮したフェアレディだったが、

彼が売却を考えた事など、たったの一度もなかった。







── 「お前さぁ、そんな金の掛かる車やめたら?」







友人は別にイヤミで言った訳じゃない。 素直に心配してくれたセリフだろう。


(あのさぁ、お前は車を運転してて思わず「ニヤリ」とした事ってあるか?)


喉まで出かかった言葉だったが、果たしてこのニュアンスが彼に伝わるものか…。







「ん?どうかした??」



「いや…何でもない。(笑)」







おそらくミニバン乗りの彼には理解できないだろう。

愛想笑いで誤魔化し、言うのはヤメた。


彼には趣味の合う友人が居なかった訳ではない。

悲しいかな、フェアレディについて熱く語れる人が周りにいなかった。







時は同じく、その頃よりインターネットが飛躍的に普及し、

彼もフェアレディのサイトを探して見にいくようになった。

人見知りする彼が、生まれて初めて掲示板への書き込み。







ドキドキが、





ワクワクとなり、





そして語り合える喜びに。







某峠の山頂にて、フェアレディと共に初めてのオフ会参加。



「は、初めまして。(ペコ)」



フェアレディについて語り出すと、

互いに打ち解けるのに時間は掛からない。



自分の1台だけでももちろん楽しいのだが、

2台3台と集まるにつれ、さらにその楽しさは倍増した。







いつのまにか、彼もちっぽけながら自分のサイトを持つようになり、


故障−修理−また故障−また修理…


くだらないネタのような文章をだらだら書き綴ってるだけなのに、

少しずつだが見に来てくれる人も増えて本当に嬉しかった。











「何事にも、終わりとは突然やってくる。」











どこかで聞いた事のあるセリフ。







フューエルフィルター、プラグ、足回り。

DIYによるリフレッシュメニューも少しずつだが何とかクリアしつつ、



もう少し、、、



あともう少し、、、







しかし、その彼の思いは届かなかった。







まるで転移した癌のように壊れていくフェアレディを見る彼の目は、

やりきれない思いで一杯だった。

こぼれ出るクーラントが、まるで泣いているかの様に見えたと言う。

笑い飛ばしてでも直していた昔とは違い、

5年の月日が彼の回りの環境を変えていた。





「なぁ、フェアレディ…そろそろ疲れたかい?」

「俺が最後のオーナーで許してくれるかい?」





問いかけた所で車に意志などあるわけない。

ましてや言葉を喋るわけがないのも知っている。







でも彼はしゃべりたかった。



聞きたかった。






フェアレディに意志があるならば、それを尊重してあげたかった。










出来る事ならば…。







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彼は苦汁の選択を迫られ、






























そしてついに…



































─── フェアレディは静に彼の元を去った。






























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そして後日。










───── 2004年 4月 17日















全ての処理を終え「悪魔のZ」と呼ばれたそのフェアレディは、



























彼との思い出をダッシュボードに詰め込んだまま、、、




















































修理から戻って来た。



ヒャッホウ!!!(笑)









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